「野ブタ。」における<母親>不在について

との記事がこちら。無断で紹介させていただいてます。スイマセン。
今回は「野ブタ。」の感想ではありませんが、この記事を見て「う〜ん、なるほど」と唸ってしまったのでちょっと紹介させていただきました。カテゴリも「野ブタ。」で。


確かにこのドラマ、「母親」が出てきませんよね。上の記事を書かれたかめすみれさんもおっしゃってますが、野ブタ堀北真希)の母親も、娘が登校拒否なのに何も言ってこない。彰(山下智久)はおっちゃん(高橋克実)にまかせっきり。修二(亀梨和也)の母親(深浦加奈子)だって電話とかはしてくれるものの、家に帰って来たら来たでずっと寝てて、そしてまたすぐにどこか行ってしまう。こういうところだけ見ると、あまりにも放任主義すぎる。
でも記事を引用させていただくと、
「母親と子供、というウエットな関係性が入ってくると、
このドラマ独特のシュールな世界観が、根底から覆されるような気もするんですよね。
青春のエッセンスを独特の手法で抽出するために、
修二、彰、ノブタの成長過程に思いを馳せるような「母親的なもの」は排除したかのよう。
あえて円満なスタンダードな家庭というものを登場させず、
家庭から切り離され、独立した人格としての少年少女たちが織り成す
学校という閉ざされた世界での青春タペストリー。
そこに浮かび上がってくる「青春期における純粋なもの」を、このドラマは描きたかったのかな?」

というのを見て、なるへそなるへそ。確かに学園ドラマでは、生徒たちの母親は重要なキーパーソンになってくる。主人公の親たちは、特に主人公の支えになっているはず。だけどこのドラマでは母親を出さないことで、生徒たちや、おっちゃんやキャサリン夏木マリ)たちの「血のつながってない大人」が修二・彰・野ブタにとっての支えになっている。あくまで学校内という枠を飛び出させず、このドラマでは主人公たちと大人たちの交流を描いている、というわけではないかと。うーん、深い。


母親の代わりとなっているのは、キャサリンであることは分かりますが、第9回のまり子(戸田恵梨香)の野ブタを慰めるシーン*1を見て、まり子も母性溢れるキャラなんだなあと、まり子に再び惚れ直し。
キャサリンやおっちゃんのように修二たちにとって「擬似親子」という存在であるというのは、「あいのうた」の洋子(菅野美穂)と優二(玉置浩二)の関係と同じ。洋子だって、母親のせいであんな性格になってようなものですから。でもそう考えると、やっぱりこの二人に恋愛感情を持たせたことは失敗だったんじゃないかと。だってそれじゃ親子じゃなくて、恋人ですから。あくまで「親子みたいな存在の二人」っていうのがベストだったのに。
まあ僕の立場で言わせていただくと、人にとって「親や、親のような存在」って大切なんだよと。クサい台詞で締めさせていただきます。

*1:特に甘栗を口に入れるところ